君の胸を借りて
夏は好き。
激烈な日差しも、涼しさの際立つ夕暮れも、夏の夜も。
春に越してきた今の住まいは、かなりのお気に入り。
東京の住宅構造ってどうしても、狭小住宅かつ隣の家とも手のひら一つ分くらいしか隙間がない。
要するに、せまっくるしい。
その点、今の住まいはかなり上出来だ。
一番大きい窓は南西向きで、日当りがいい。
それに、家の前には小さな公園があって窓からの景色がひらけている。
家で過ごす時間が増えたいま、この家を探し当てられたことはとってもラッキーだったと思う。
家でぼーっとしていると、あっという間に時間は過ぎる。
あっという間に晩ご飯を作る時間を迎えて、あっという間にベッドでおやすみ。
幸せだと思う。けれど、という気持ちのまま、おやすみ。
私は凡人だから、本を読んだり、音楽を聞いたりしていると、焦ってくる。
この2ヶ月で、蓋をしてきた思考回路がつながりはじめていて、誤摩化せなくなっている。
秋からどうしよう。
戻るのか、それとも進むのか。
どこへ戻るのか、どこへ進むのか。
そもそも、秋、なのか。
正解なんてないことはわかっていて、それは悟り世代なめんなってくらい。
でも私は、何も経験していないのに、何も知らないのに、何を悟っているんだろう。
はー、悩んでもしゃーない。外出よ、と夏の夕暮れをぶらぶら。
コンビニで手に取ったら谷川大先生が。
何も悟らず、大口開けて、今年くらいは小躍りで夏を迎えたい。
辛いことはぽろぽろ泣きながらつらいと言うし、楽しいことは大口開けて笑おう。
夏やったらそれくらい、許してくれるかしら。と、君の胸を借りたい。
ふつう
小さい頃から病院の待合室で、
少し背をしゃんとする自分がいた。
たぶん、ぐったりしていたり、ぐずったりする子どもを見て、子どもながらに「私は違うの」という妙なプライドがあったのだ。
昔から妙に鼻が高くなるところは変わらないもので。
休職中のため、折々心療内科に通っている。(そうそう、そういうアレで私はお休みしているのだけど、それはおいおい)
いわゆる心を患っている人って
「友達の友達」くらいがたぶん一番多い。
必ず居るのに、なかなか当事者に会うことはない。
だからこそ、待合室の人の多さと「普通さ」に驚いた。
心療内科のイメージって、
突然暴れ出す人や、しくしく泣いている人ばかりと思われがちだ。
でもここにいる人たちはマスクをしているわけでも、足を引きずっているわけでもない。
みんな「普通」に見えるけど、病んで、いる。
みんな泣いたりぐずったりするわけでもない。
背中に入る力が、少し抜けた。
病院を出て、スーパーで安売りの干物を買った。
「冷凍して、今度食べよう」。
今度が私には見えている。
病んでいるけど、私はまだ、大丈夫だ。
ようやく腰を上げて
はじめます。
ブログというツールを使うのは、中学生ぶりですから、、、遡るのも面倒な年齢にさしかかりつつあることをまざまざと知ります。来年には四半世紀を迎えるなんて、ちょっと、想像がつかないですね。
件のブログをやっていたころには満喫していて、先刻お別れを告げたと思っていた夏休みが、思いも寄らず降ってきました。
いま、会社を休んでいます。
詳しくはこれからがつんと書くか、小出しにしていくのか決めてはいません。
その辺りがメインになってくるのか、副菜になるのかも決めてはいません。
ただ、
「休職」という一つの要素が私を語る全てにはならないとは予測しています。
美味しいもの、悲しい気持ち、ベランダのお野菜、どろどろしたもやもやが、私の中を行ったり来たり、出たり入ったりして私の頼りなさを形作っているからです。
ただの日記ではなく、開かれた形式をとったのは、8平米の部屋の片隅に収まってしまう私が、私が新鮮な“空気”を吸い込むひとつの大きな口として、macやブログを手に入れたいという思いもあります。
近所の居酒屋のお兄さんとの会話や、私の好きな人たち、メディアから色々な“空気”を頂いて私は生きているけれど、私の図々しさが「新しい“酸素”をくれ」と首をもたげています。
そんなもんです。どうぞよろしく。よければごひいきに。